2008/03/15

あと、もうひとつ。

NINネタで、いまlast.fmで海外のNINファンがレディへを負かそうと
一生懸命「ghosts」を聞くというので盛り上がってるんだけれども、
私は、同じNINファンでもそういうのはあんまり好きじゃないな。
別に数の上でレディへに負けようが、そんなの関係ないと思ってますから。
大切なのは「質」でしょ?
NINがいい音楽作ったらそれでいーじゃん。
そもそもカルトな位置にあるNINなんで、
どんなに頑張ったって
明らかにメジャーのレディへには勝てない気がするんだけれども。
ウチはトレントが戻ってきてくれただけで十分です。


トレント近影。トレント、痩せた? 髪が伸びたせいか昔っぽくてかっこいいんですけど。
このトレントはカッコイイです。

PICK UP:the cure その⑥:robert smith氏の音楽的背景について②-1

ちょっと飛びましたが、少しまた前に立ち戻って
ロバート・スミス氏の音楽的背景―特に歌詞的背景にせまりたいと思います。
ロバート・スミス氏はクラシック音楽に影響を受けているところがあると書きました。
しかし、多くのミュージシャン達が影響を受けているのは、
曲の面だけではなく、もっと別な部分かと思います。

以前、多くのバンドがその影響を公言しているというところで、

愛 失恋 絶望 幻想がテーマなんだ。

とリンキン・パークのメンバーのcureについての発言を載せました。

実はcureが多くのバンドに与えた影響というのは、この歌詞だと私は思うのです。
ロバート・スミスという人は、欧州人らしく非常にペシミステッィクなところがあるというか、
物事をなんでも悲観的にとらえる傾向にある人のようです。
しかし、その悲観的な世界観こそ、NINをはじめとする
現代のオルタナティヴ・ロックにもっとも大きな影響を及ぼした部分だと思うのです。

では、彼のこのペシミスティックな視点というのはどこから生まれたのでしょうか?
私はある事実に注目したいと思います。
彼は比較的裕福な家庭に生まれて、育ったようです。
ロンドン郊外のクローリーという南部の町に住んでいたということですから、
典型的な中産階級の郊外の生活を送っていたということは容易に想像できるでしょう。

余談なのですが、
イギリスのロックを語る上で重要な事柄だと思いますので、
ここであえて記しておきたいと思います。
イギリスは階級的に南北に大きく分けられると思います。
北部には労働者階級が。南部には中産階級が住んでいるという構造です。
イタリアとは逆ですが、南部に住んでいる人たちは比較的裕福な家庭が多いです。
典型的な例としては、マンチェ出身のギャラガー兄弟とロンドン出身のデーモン・アルバーンですよね。
90年代半ばに『北部の労働者階級VS南部の中産階級』という触れ込みで、
さんざん話題になりました。あれです。
いくぶん誇張があるかとは思いますが、
北部人たちが南部の人に持っている階級的嫌悪またはコンプレックスは
多少なりとも間違ってはいないと思います。


ですが、ロバートに関していえば
彼は完全なる中産階級出身者ではないようです。
なぜなら、彼は『comprihensive school』といって
いわゆる日本でいうところの公立学校に通っているからです。
中産階級ならばたいていはパブリック・スクールに通います。
たとえ経済的に豊かでなくても、
パブリック・スクール並みのハイレベルな教育を受けることのできるグラマー・スクールもあり、
それなりに階級が上の者なら、たいていどちらかに行くのが普通です。
なのに、彼はそのどちらにも行っていない。

それはなぜなのか。

もちろんいくつか理由があると思います。
まず彼の家庭がカトリックの家庭だということがあります。
パブリック・スクールはあまり宗教教育をしませんから(しても英国国教会の教義のみ)、
カトリックの環境で学ばせたいというのであれば、公立学校でも仕方がないでしょう。
このカトリックに育ったということも実はかなり重要です。
そして、もう一つ。これもかなり重要かと思います。
彼のお父さんは厳密には中産階級出身ではないということです。
いろいろとbiographyを読んでいると、
もともとお父さんは北部の出身で、
かなりの苦労をして成功を収めた人物のようです。
いわゆる『respectable working class』
―一代で階級を成り上がった人物だったと思われます。
しかし、彼のお父さんはそうとうなハンデがあったでしょう。
労働者階級で、しかもカトリックというのは、
イギリス社会では障害にしかなりません。
イギリスにおいてカトリック出身者というのは出世が限られている場合がほとんどなのです。
おそらく世界史を勉強されたことがある方なら分かると思いますが、
最近まで『カトリック禁止令』という法律があったように、
イギリスでは要職につく人は、カトリック出身者であってはいけないというのがありました。
もちろん今では廃止されてますが、その風習は今でも根強く残っています。
お父さんの苦労というのは並大抵なものではなかったでしょう。

しかし、ロバートのお父さんには相当な信念があったと思います。
おそらく彼はカトリックの教義に強く支えられていたんだと思います。
のちにロバート・スミス氏が語っているように、
お父さんは非常に強い信仰の持ち主だったそうです。
しかし、それは時として子ども達にとっては強い抑圧となりうつことがあります。

そして、スミス家の子ども達にとって
「カトリックの教義」は文字通り「大きな壁」となって立ちはだかりました。
ロバートは雑誌のインタヴューでこう答えています。

自分が子どものころ、よく父親と兄がカトリックの教義について議論をしていた。
なぜなら兄は共産主義者だったから。でも、いつも兄は父には勝てなかった。

ロバート・スミス少年はこの二人の議論を見て、
非常に感ずるところがあったようです。
そして、彼もまたお兄さんと同様
カトリックの教義と自分の信心とのあいだで板ばさみとなります。
この信仰と自分とのあいだでどのような折り合いをつけるのか。
それは少年時代から青年にかけての
ロバート・スミスにとって最大の関心事であり、
cureの世界観を形作るのに最も重要な、まさに「核」の部分となってゆきます。

では、どうやって彼はカトリックを克服したのか。
それは次回で詳しく説明します。

勝手にnew wave revival

数日前にshe wants revengeのCDを買って以来、
急にnew wave revival系のバンドが聞きたくなり、
押入れの奥にしまっていたCDを取り出して、ITSに入れて聞いてました。

今はどうなのかは分からないけれども、
数年前までは確実に80'sのnew waveを模した音がすごく流行っていて
音楽雑誌も馬鹿みたいに持ち上げていたというか、
「ロックの未来」みたいに言われてました。
で、今改めて聞いてみて、
new wave revivalってわりと音が限定されるというか、
すべてのnew waveサウンドに影響を受けているわけではなくて、
一定のサウンドだけに影響を受けているというか、
大きく分けて三つに分類することができるなと思いました。

どういう分類になるかというと、

①wireやgang of fourなどの影響を受けたpost-punk系
②daft punk周辺のエレポップ+耽美系new wave(特にcureを模したもの)
③思いっきりjoy division

①はbloc partyとかmaximo parkとかわりとイギリスに多い。フランツもね。
逆に②と③はアメリカに多くて、
②はraptureLCD soundsytemだったり、braveryだったり、
おそらくkillersもここに入るのかな。
彼らはduran duranの影響のほうが強そうだけれども。
③はねえ、ホントいっぱいいますよ。ゴロゴロと。
代表的なところではinterpolでしょ。stillsでしょ。
そして、最近聞いたshe wants revenge。イギリスでもeditorsなんてのがいるなあ。

こうやって分類してみると傾向が見えてくるというか。
なかでもおもしろいと思ったのは、②のエレポップ系new waveが
なぜかcureとリンクするってところ。
とくにロバスミのボーカルを真似るバンドって多いんだよね。
あの変に甲高いシャウトがクラブサウンドと融合したとき、
おもしろい効果が生まれると思っているんだろうか?

だけど、いちばんおもしろいと思うのは、
joy divisionの子ども達といっていいほどの③だよね。
自分とほぼ同年代の人たちがやってるんですが。
確かに聞いてみてすごく時代やいまの雰囲気に合ってるし、
クールなサウンドでありながらも、ひじょうに都会的で、
おしゃれな感じがするんですけれども、

でも、ずいぶん遠くに来ちゃったという感じもする。
本家joy divisionを聞いてみれば、すぐに分かる。
そこにはイアン・カーティスの背負っていた人生の重みや死の憧憬、
ロバスミが常に怯えている非キリスト者としての実存の不安みたいなものがぜんぜんないんだもん。
重さがぜんぜん違うんだよね。
雰囲気だけ暗くて、根っこまでは暗くない。
だから聞きやすい。she wants revengeなんて本当に聞きやすいもの。
硫酸でうすめたjoy divisionみたいな感じでさ。
切迫感さえもないんだよね。ただ退廃的で耽美な「雰囲気」の音が流れている。

考えてみれば、私たちの世代って物事を深く考えないで
いつも「雰囲気」だけに影響されているというか、
ひじょうに皮相的なものの見方しかできないなと
深く考え込んでしまいました。
あの時代の人たちはもっと「音楽」というものを
「根っこの部分」から考えていたんだろうな。

ちなみに私がつくったnew wave revival リストはこちら。

decent days night-the futureheads
apple some pressure-maximo park
banqet-bloc party
helicopter-bloc party
digitalism in Cairo-digitalism
a forest-the cure
just like TV-the departure
fearless-the bravery
you got me-VHS or beta
olio-the rapture
gender bombs-the stills
mouth filled with sand-feeding fingers
the drowing man-the cure
she wants revenge-she wants revenge(album)
she's lost control-joy division
heart and soul-joy division
24 hours-joy division

ちなみにinterpolやフランツなどの有名どこはあえて入れてません。
わざとマイナーっぽいのをいれてみました。ブロック・パーティはマイナーじゃないけど。
もしかしたらいれるかもしれませんが、なにせ大量にCDがあるので
探せずにいます。4年ぐらい前に買ったやつですからねえ。
どこにあるのか。探してから考えます。

GHOSTS~NIN 男祭り~


きのうあたりからようやく体調がもとに戻ってきました。
で、かなり間をおいてしまったので、このあたりで大量更新したいなと。
第一弾は、もちろんNINの新作の感想をたっぷりと。

原因不明と書きましたがただの風邪でした(汗)。
最近の塾の人事異動で講師が数人辞めたせいで、
仕事が全部自分に回ってきてしまい、
知らず知らずのうちに疲れがたまっていたみたいです。
自分、あんまり自分の限界を知らないというか、
単にニブいだけなのかも知れないけれども、
なんでも一生懸命やってしまうあまり、
いきなりエンジンがぶつりときれてしまうというか。
加減がわかんないんでしょうね。
お医者さんにも無理はしないようにといわれてしまいました(汗)。

たくさんの方々に心配をおかけしてしまいました。
ぶれさん、sheelaさん、Juneさん、お見舞いのコメントありがとうございます。
あとでレスさせていただきます。

前書きが長くなりましたところで、
さっそく「ghosts」の感想を。

はっきりいってめちゃめちゃ「名作」です!

3月にしていきなりbest album of this yearに決まってしまった感じ。
それぐらいの素晴らしい作品。
正直まだCD買ってないんで、ghostⅠしか聞いてないんですが、
「Ⅰ」だけでも作品の素晴らしさが容易にわかる。
ほんま、素晴らしいです。excellent! fabulous!
毎日ヘヴィロテ状態です。

やっぱNINはこうじゃないと。ずっと心配だったんですよ。
特にwith teeth以降、
自分のこうあってもらいたいNINとトレントがもとめるNINの方向性が
すごくズレていっているような気がして、
長年のファンとしてはすごく不安だったというか、
アルバムを作るたびにどんどんつまらんクラブ・ミュージックになっていくことに
我慢できなくて、NINはこんなんじゃないってずっと思ってたんですね。

もちろん、5年半ものあいだ一線から退いていたわけですし、
そのあいだに音楽のトレンドもずいぶん変わってしまったこともあって、
トレントとしてははじめてNINを聞く人にも分かりやすい音楽を提供しようと考えて
ああいうだれでもすんなりと聞けるサウンドにしようとしたのは分かるんですけれども、
でもね。それじゃあダメなんですよ。ファンとしては。少なくとも自分としては。
やっぱNINは多少難解じゃないと。ポップすぎてもダメなんです。

確かにトレントは、前衛音楽の一つでしかなかったインダストリアル・ミュージックを
ポップ・ミュージックへと引き上げた功績は評価して有り余るほどなんですが、
だからといって何でもかんでも甘い砂糖でコーティングすればいいってわけじゃなくて、
多少の毒は含んでないと、音楽としてはおもしろくないし、
何よりもトレントらしくない。
トレントはポップ・ミュージックをやってもいいけど、
聴衆に媚びてはダメなんです。その辺はロバスミと一緒。
NINとcureはポップ・ミュージックと前衛とがほどよく交じり合っていないとダメなの。

すんません、かなり長くなって。でも、NINのことになると話がとまんなくて。
ここではNINの話はひかえようと思ったのですが、
でも、ちょっとだまってられなくて。
NINのファンの人もけっこうこの流れを容認しちゃってる部分があるみたいなんで、
自分としては納得いかんと思いまして。

このアルバムを聞いてると、
最近のトレントはかなり迷走気味だったんだと。
5年半のブランクって短くはないわけだし、
彼自身かなり方向性を見失ってたって気がするんですよね。
しかし、最近短期間でたくさんの作品を作るようになってきて、
同時に音楽のカンも取り戻してきたというか。
とにかくこのアルバムはトレントにとってもいいリハビリになってる気がするんですよね。
音楽会社の重役もすっぱりやめちゃって、
フリーになったってことも、彼にとってはいい影響になってると思うし。
これで思う存分創作に打ち込めるしね。
トレントには頑張ってほしいですよ。

でも、一言だけ。
トレントさん、「ghostsⅠ」の最初の曲って
cureの「a reflection」にそっくりじゃありません?
最近「seventeen seconds」聞いてたせいかな?
すごく似てるんですけど…。 トレントさんってば。

追記:さっきHMVのHPみたら、輸入盤フツーに売ってました。
   この調子で行けばおそらく日本盤も出るかなと思います。
   オフィシャル・サイトで購入しようと思ったけど、
   日本盤だとたぶんDVDもつくと思うんで、今は静観したいなと思います

2008/03/10

具合悪ス

原因不明の貧血でたおれて以来、
体調がよくありません。
で、更新したいんですが、
今できずにおります。
NINの新作の感想(→名作!)や最近見たDVDなど
いろいろUPしたいのですが…。
もう少し体調がよくなってから、
大量更新したいと思います。

2008/03/06

ドストエフスキーを読んで考えた。


この前、とうとう『白痴』を読み終えた。
実はこの本、あまりの難解さに、読んでは手を止め、
読んではやめをくりかえして、
読破するのに1年半近くも要してしまった。

ドストエフスキーは最も好きな作家の一人で、
『カラマーゾフの兄弟』を読んで衝撃を受けて以来
彼の作品をいろいろと読んでいるんですが、
この『白痴』だけはなかなか頭に入っていかなくて、
すごく困ってしまった。
『カラマーゾフ~』は3日で読みきってしまっただけに、
よけい……。
でも、すごくおもしろかったんですよね。
というより、彼の作品らしくすごく考えさせられました。

ムイシュキン公爵とナスターシャの二人の運命の残酷さに
ドストエフスキーは何をいいたかったのだろうかと。
『白痴』というタイトルをつけてはありますが、
ムイシュキンにしても、ナスターシャにしても
彼は『白痴』という言葉を本来の意味としてではなくて、
『世間に適応できないほどの純粋さ、繊細さを持つ人』という意味で使っている。
もしかしたら、アグラーヤも『白痴』なのかもしれないけれども。
だからこそ二人の純粋さが痛々しく、
ものすごく心に突き刺さるというか。
どうしてドストエフスキーは
ああいう悲劇的な結末にしてしまったのだろうかと。

私としては、ナスターシャは別にしてもムイシュキンだけは救ってほしかった。
長い闘病生活を経て(ここでもドストエフスキーはその純粋さゆえに、
世間に適応できず、精神的病で闘病を強いられたことを匂わせている)、
ようやく普通の世界(=世間、社会)へと出ることができたのに、
ふたたび病院へ逆戻りさせられるのは悲しすぎる。
しかも『発狂』という最悪の形で。

世の中にはムイシュキンやナスターシャのように
世間に適応できず、もがき苦しんでる人はたくさんいる。
そういう人たちを励ましてあげるためにも、
最後には何らかの『救い』がないと、やりきれない。
すごく後味が悪い結末というか。
もしかしたら、
だからこそドストエフスキーはみんなに世間というものについて
考えてほしいと思ったのかもしれないけれども。

最後のほうは読むのがすごくつらかったです。
アグラーヤがいきなり『純粋さ』を捨て、
『世俗』に走っちゃうところも。
もしかしたらアグラーヤは二人の悲劇的結末を見たからこそ、
二人のようになるまいとして、『世俗』を選んだのかもしれないんですけれども。

正直いってすごく長いし、難解です。
個人的には『カラマーゾフ~』をおススメしますが、
この『白痴』もかなりおもしろいです。
ドストエフスキーはなんでもいいから、
絶対一冊は読んだほうがいいと思います。
単なる『教養』としてではなく、単純におもしろいですから。
文学の本当のおもしろさを教えてくれる数少ない作品の一つですよ。

すごーい嘘つき!


昨日たまたま立ち寄った中古屋さんで、↑のCDが売ってたのですが、
300円という破格の値段だったので、早速買って家で聞いてました。

このアルバム、発売した当初買おうかどうか迷っていたんですが、
ちょうどその時読んでいた英雑誌『Q』のアルバム評で、
星★★と酷評していたので、「これまちょっとまずいなー」と
買うのをひかえておりました。

で、昨日たまたま安く売っていたので、
どんなに悪いアルバムなのかと聞いてみたら…、

めちゃめちゃいーじゃん!
いつものnew order節が炸裂していて、メロディもすごく良い。
確かにいつもの哀愁はやや後退しているものの、
その分、軽快さや華やかさが加わって、すごく聞きやすくなっている。
new orderはまだ聞いたことのない人には
おススメのアルバムになっているんじゃないですか?

それなのに、『Q』誌の酷評、なぜ?
いつものことだけれども、イギリスの雑誌って
こういうベテランのバンドに対しては冷たい気がする。


このアルバム評に対しても
「目新しいものは何もない」とか、「『technique』以降はいい曲を作ってない」とか
いいたい放題だったけれども、
なんでもかんでも『新しいもの』を作ればいいってわけじゃないし、
何よりもこういうベテランのバンドがみずみずしさを失わず、
平均して高いクオリティのあるアルバムを作っていられるってことが
何よりも大事なんじゃないの?

イギリスの音楽評論家は『新しいもの』『斬新なもの』に眼を奪われすぎ!
音楽とは何かという根本を忘れている!
音楽はなんでもかんでも新しいことをやればいいってわけじゃない。
時にはベテランの奮闘もきちんと評価してやることも必要だし、
一番大事なのは、『人を感動させる音楽を作る』ってことじゃないのかな?

イギリスに限らず日本の洋楽評論家、もしかしたら世界の音楽評論家たちは
そういうことを忘れてるんじゃなかろうか?

しっかし、洋楽雑誌のアルバム評ってホント当てにならない。
自分の気分だけで評価してんだから。
トレントだって音楽評論家はクソだと酷評してたしね。
なかにはアルバムの曲聞かないで、評論するやつもいるそうですから。
みなさんもあんまり音楽雑誌等の批評は当てにしないほうがいいと思います。
大事なのは自分の耳で、いいと思ったその感性なんですから。