2009/10/18

2009-2010シーズン到来 エリボン杯 女子SP 考察 その2



《前回からの続き》

もしかしていまの浅田選手に最も必要なのは、「挫折」なのかもしれません。
キムヨナ選手はひそかにこの大きな「挫折」を経験してますよね。
なにかというと、3Aを試みたものの結局跳べなかったという挫折です。
韓国で浅田選手と比較されて、
自分も飛べると信じていた3Aが結局だめだったのですから。
オーサーのもとについたのも、最初の目的は3Aを跳べるようになるためだったはず。
しかし、その挫折が彼女を強くしたとも言える。

荒川静香さんだって、世界選手権を優勝して次の年落ちに落ちまくって、
オリンピックシーズンでも浮上できなくて、
最後の最後で起死回生!って感じで優勝したわけですから、
ひょっとしたら、浅田選手ももっと「苦しみ」が必要なのかもしれませんよね。

でも、冷静に考えてみても、
あの「天才」といわれたプルシェンコでも、
最初のオリンピックでは金メダルが取れなかったのですから。
しかし、逆にそのことが大きな挫折となって
プルシェンコは絶対的な強さを持つ史上最高の選手になったわけですから。
もしかしたら、浅田選手の本当の強さは
バンクーバー以降に発揮されるのかもしれない。

ものすごい勢いで進化し続けている浅田選手ですが、
やはりまだ彼女は「未完成の」天才なんですよね。
そこがプルシェンコと大きく違う。
プルシェンコはすでに自分が何者か知っている天才でした。
完全無欠だったわけです。
したがって、新採点システムに変わっても彼をつぶすことはできなかった。
彼の技術が突出していたため、回転不足を取ることができなかった。
しかし、浅田選手の場合、女子ゆえの弱点がいくつかあったわけです。
そこをルール改正で大きく付かれてしまった。

もっと前にエッジを矯正していれば・・・と思います。
いまさらテクニカルなコーチを呼んで、1~2年という短い期間で
エッジを矯正しようとしても無理だと思います。
山田コーチについていたときに矯正すべき問題だったと思います。
これは日本のスケ連に大きな問題がある。
こういうルール改正の動きを読めず、
また、強豪選手となった日本選手をつぶそうとする
動きを読むことができず、彼女たちを守ろうとさえしなかった。

タラソワ以外のコーチについても同じだったと思いますよ。
今、盛んにタラソワはもうだめだとか言ってますが。
現にこちらに来られる方の中には、
「タラソワはもうだめ」というワードで検索していらっしゃる方もいます。
では、カナダ人のコーチにつけば
キムヨナ以上の点数がついて勝つことができたのか。
それは大いなる疑問です。


まあ、いろんなことをいっていますが、
まだシーズンは始まったばかり。
これからいろいろと調整もあるだろうし、
長い目で、穏やかな気持ちで見守っていきたいと思ってます。


で、次はキムヨナ選手ですが・・・




「・・・」
正直、何も感じませんでした。
こんなに感動しなかったプログラムはありません。
何の感慨もない。
確かにジャンプは正確で、完璧だし、
エッジの矯正もできている。
スピン、スパイラルのレベル取りもOK  
ステップも要素は満たしている。
でも、ただそれだけ。
去年とまったくかわり映えしない振り付けがそこに存在している。
シェヘラとまったく同じじゃんステップ。
こんなに人を馬鹿にしたプログラムってあるでしょうか。
わたしは見ていて怒りがこみ上げてきました。
音楽だけが違って、中身は全部以前と一緒。
それで76点が出るという。
これが現在の新採点システムなのでしょう。

しかし、もしこれが未来のフィギュアのあるべき姿であるというのなら、
わたしは一生フィギュアスケートを見ないし、ファンにもならない。
これはもはやフィギュアスケートではないとさえ思う。

キムヨナ選手の演技は完璧です。でも、感動はできない。
しかし、同じ「完璧」をもったプルシェンコはなぜ感動できるのか。
そこには人間を超越した技を機械のように正確無比に
繰り出す天才のあるべき姿を垣間見ることができるからです。
彼は決してSPに3-3を入れるような愚を犯さなかった。
いつでもどんなときでも、怪我をしているときでさえ、
そして、いま満身創痍で復帰をしようとしているときでさえ
男子最高の4-3を入れようとしている。
そして、それを誰よりも完璧にこなす。

しかし、誰もができるであろう技を完璧にやってみたところで、
果たしてそれは「美しい」と感じるのか。
体操の冨田洋之がそうだったじゃないか、
どうして「完璧」を追及するキムヨナが批判されて、
冨田洋之が批判されないのかという方がいますが。
冨田氏は決して「難度」を軽視してはおりませんでした。
高い難度を維持しつつも、その技を究極にまで高めるということをしていたのです。
だからこそ、日本人は彼を高く支持したわけです。

かたや、キムヨナはだれもができるであろう2Aを「完璧」に跳ぶわけです。
ジュニアの子ができる技を。「完璧」な2Aだとかいって。尊敬などできません。

キムヨナ選手を見ていると、
『ガラスの仮面』という漫画の姫川亜弓の「ヘレン・ケラーの演技」を思い出します。
完璧な演技なのだけれども、あまりにも型にはまりすぎて、何の面白みもないという。
結局姫川亜弓の演技は高く評価されたものの、賞を受賞するまでにはいたらず
北島マヤが受賞することになるのですが。
わたしはそういう印象をキムヨナ選手に抱きます。
確かに韓国のメディアが評するように「教科書」のようなのでしょう。
しかし、そこには個性も、面白みも、進化も何もないわけです。
もっと言えばキムヨナの演技に
浅田選手のようなプログラムを完成させようとする情熱がまるで感じられないのです。
与えられたことをただ「教科書どおりに」こなせばいいと思っているだけ。

その演技をすれば確かにいまの採点システムでは認められるのでしょう。
キムヨナ選手は明らかにいまの採点システムが作り上げた最強の選手です。

浅田選手というのはISUにとって
おそらく昔の伊藤みどりさんのような存在なのでしょう。
そして、その亡霊がふたたび日本に登場したことを心から恐れている。
浅田選手も伊藤みどりさんも、
彼らにとっては「異端」であり、排除すべき存在なのです。
技術ひとつ取ってみても、その体力や、表現力を見たって
浅田真央のような選手は現れたことがなかったのですから。
もし彼女がアメリカ人やヨーロッパ人だったら歓迎されたでしょうが、
くしくも伊藤さんと同じ国の人間だったことがいまの浅田選手を苦しめている。
そして、キムヨナは逆に浅田選手の当て馬的存在として、
ISUからの強い支持を受けることとなり、一気に脚光を浴びた。


新採点システム推進派ISU=キムヨナVS浅田真央=旧採点システム復活派

という対立軸がはっきりと見えます。

でも、本当の天才というものは常に叩かれるものですし、
むしろそういうバッシングにあっても、それを乗り越えていかなければならない。
前にも書きましたが、
浅田選手がこのシステムと真っ向から対峙していきたいのならば、
「真の強さ」を身に着けなければ。
つまり、プルシェンコのように
3Aやセカンド3Tのコンビネーションを有無を言わさず完璧に跳べる技術と
他人と圧倒するような表現力を身につけること。
やはりジャッジに付け入る隙を与えないような選手にならなければ。

もしいまのプログラムを浅田選手が維持していくのであれば。

浅田選手の戦いというのは、
オリンピックで金メダルを取るという戦いではなく、
システムとの戦いという最も困難な側面を多分に含んでいる。
もし彼女が新採点システム的なプログラムを
あくまで拒否したいのであればですが。

この戦いに勝てば浅田選手は、ある意味、
プルシェンコのように誰も手をつけられないような絶対的な存在となり得、
しかし、負けてしまったときは、もはやキムヨナだけではなく、
二番手・三番手の選手の足元にも及ばなくなるような
選手になってしまう可能性すらある。
(つまり、完膚なきまでにISUにつぶされてしまう)

わたしたちが考えている以上に、
浅田選手は難しい選択をしたのだと思います。

わたしたちファンは黙って見守っていくしかないとは思いますが。

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