2010/02/18

4回転は必要なのか~ フィギュアスケートの未来について考察する。



ちょっと前後しますが、
前回の『明暗を分けた~』の続きを
昨日のプル、高橋、ライサの三人の記者会見の個人的所感を踏まえつつ、
考察をしようと思います。

いまトラックワードでワード検索を見てきたんですが、
本当に当ブログ名で検索してくださっている方が
たくさんいらっしゃるんですね。
ありがとうございます 
♪感謝☆(人゚∀゚*)☆感謝♪

稚拙で、長文で、かつ的を得ないブログで、
しかも、更新がものすごーく不定期で、
筆者の超気まぐれで成り立っているものですから
更新を心待ちにしていらっしゃった方には
本当に申し訳ないと思っております。

勉強が忙しいんです。
言い訳なんですが、毎日勉強しないと
次回の司法試験が危ないものですから(´-∀-`;)

(2/18にエントリしてますが、2月19日に書いてます)

さて話を戻しまして、
SPが終わったあと上位3人が記者会見をしました。
その席で、プルシェンコが、

「バイアスロンやスピードスケートでも新記録が出ている。
(4回転を跳ばないとしたら)われわれの進歩は止まる」

と4回転を飛ばないライサに対する非難とも取れる発言をしました。

ライサはその発言をやんわりとかわしておりましたけれども、
私は、プルシェンコのその発言に
4回転ジャンパーとしての矜持を見ました。

去年のGPFで高橋選手はフリーで4回転に挑み失敗しました。
その結果、後半グダグダな展開となり結果は5位。
表彰台にも上がれない結果となりました。

それを受けてモロゾフは、高橋陣営を批判しました。

ですが、皮肉にもオリンピックのフリーでは
織田選手が靴紐が切れるというアクシデントでメダルを逃してしまいました。
「大技に挑まない」無難なプログラムを滑ったにもかかわらず。

確かに、怪我をする前の高橋選手とは違い、
今の彼はさまざまなところで、怪我の後遺症が出ていると思います。
ジャンプを飛ぶときのエッジが以前とは違ってしまったといわれていますし、
特に、フリーを最後まで滑りきることのできないスタミナのなさは
本当に問題だと思います(去年のGPFの時点)。

正直、高橋選手は4回転を飛ぶべきではないのかもしれない。
彼は4回転を飛ぶほどの力量は持ち合わせていません。
少なくとも怪我のあとの彼には。
プルシェンコは4回転を絶対に失敗しません。
たとえどんなに調子が悪くても、きちんとまとめる力がある。
残念ながら、この採点システムは
大技を持つ選手には非常に苛烈なDG判定が待っています。
ほんの少しの回転不足であっても、容赦なくDGをして、点数を下げる。
その結果、多くの選手たちはDGを怖がって
無難なジャンプを飛んで、『加点』を稼ごうとする。
高橋選手も4回転が戻らない以上、
4回転はあきらめて別の要素で点数を稼いだほうがいいのかもしれない。
現にステップやそのほかの演技点では世界最高点が出せるのですから。

しかし、かといって4回転を飛ばないことは
果たしていいことなのか。とも思うわけです。
なんといっても選手のモチベーションを下げることになりかねません。
ペアの川口・スルミノフペアが直前になって
4回転を回避するようコーチに言われて、
逆に、モチベーションが下がってしまい、
メダルを逃してしまうという最悪の結果となってしまいました。

たとえ成功率の低い4回転であっても、
飛ばないことによって
演技全体に影響を与えてしまうこともあるわけです。


個人的に、私は今日の織田選手のフリーの失敗は
そういうことと関係があるように思います。
一見、まったく関係のない問題だったとしても。
織田選手の中で、なにか心に引っかかるものがあったのではないでしょうか。
ましてや、日本人三人の中でただ一人、自分だけが4回転に挑戦しないのです。
そして、自分より年下の小塚選手が、よりによって五輪本番で4回転を成功させた。
小塚選手の演技を見ていた織田選手の心中は、穏やかではなかったはず。
それがあの『靴紐』に現れたのだろうと思います。
そして、モロゾフはそのことに気づいてあげられなかった。

たぶん、モロゾフは野心家なのでしょう。
荒川静香の件で味を占めたのかもしれない。
自分の作戦通りに行けばメダルを取れると思っていたのでしょう。
実際、タラソワの元にいたときはヤグディンなど
たくさんのメダリストたちのプログラム作成にかかわってきたのですから、
それが自分の本当の実力なんだと錯覚しても不思議ではない。

しかし、その『おごり』が今回の悲劇をもたらしたとも思うのです。
本当は4回転を飛びたがっている織田選手を
うまく『コントロール』できたと思っていたのでしょうが、
人の心はそんなに簡単にコントロールできるものではない。

逆に、高橋選手は4回転に挑むことで
最後までモチベーションを崩さなかったと思います。
たとえ成功する確率は低くても、
己の限界に挑もうとすることは
トップ・アスリートとしては当然のことだと思うし、
また、モチベーション向上にもつながるわけです。

まあ、ジュベールのように逆に飛べないことで
下がってしまうこともあるのですが。
でも、彼の場合、いつも飛べていたものが
飛べなくなってしまったというのがありますから、
ジュベールと高橋選手を比較してもしかたがないんですけど。

今回の五輪ですごく面白いと思ったのは、
日本人が積極的に4回転に挑んだことです。
もちろんマスコミのあおりもあるでしょうが、
本田武史さんの存在も大きいはず。

彼はプルシェンコが復活したとき、誰よりも興奮していました。
NHK杯だったでしょうか、本田氏が解説だったときに
プルの復活を感慨深げに話す彼の姿がいまも印象に残っています。

やはり本田氏やプルシェンコが現役で闘っていたときは
本当に4回転全盛時代で、
本田氏が「4回転を三回入れてもヤグディンとプルシェンコに勝てるか」といっているぐらい、
ヤグプルは本当に強く、
そして、4回転を入れなければ上位にさえいけなかった。
そして、みなヤグプルに追いつき、
追い越そうと4Sや4Lzなどを練習していたのです。
そういう時代を過ごしてきた本田氏にとって、
いまの4回転回避の状況は
どこかで歯がゆく思っていたところがあったのではないか。

そして、プルが復活してくれたことによって
自分の気持ちを代弁してくれたと思ったのではないでしょうか。
本田氏は高橋選手にあの時代のことを話していたんでしょうね。
それが、高橋選手の無謀とも言える挑戦につながっていったのだと。

回転不足の4回転など必要ないといいますが、
新しい技のはじめはみな不完全です。
回転不足が多いのも当然です。
しかし、そういう4回転を跳ぼうとする選手たちが切磋琢磨して
より精度の高い4回転を飛ぼうと技術の精度の開発に努力するのも事実です。

スポーツというのはそうやって
不完全なものから完全なものへと進化していくものではないでしょうか。
サッカーだって最初はただの玉蹴り程度に過ぎなかったはず。
それが、さまざまなシュートの方法、守備の仕方、フォーメーションの組み方など、
多くの先人たちがさまざまな研究をすることによって、
今のサッカーの形が作られている。

フィギュアスケートだって、3回転しか飛べなかったジャンプが4回転へと進化し、
その4回転をさらなる精度と完成度を上げようとみな努力した。
その最良の結果がプルシェンコであり、
そして、その時代を生き抜いた人が本田武史または、ヤグディンだと思うのです。
私は、ヤグプル2強時代を同等に戦うことができた日本人がいたことを
同じ母国人として誇りに思います。

モロゾフは旧ソ連時代の選手であるにもかかわらず、
母国の、技へのあくなき探究心を忘れて
大技回避は時代の趨勢だからといって簡単に切り捨てしまった。
まあ、もともとロシア人じゃないし、グルジア人だからなのかもしれないけど。

私は安藤選手には4回転を飛んでもらいたいです。
別にこのオリンピックで飛んでもらいたいとは思っていません。
でも、いつかは飛んでもらいたい。
彼女も4回転を飛ぶことを夢見ている。
モロゾフが本当に彼女のことを思っているのなら、
たとえ無謀であっても彼女に挑戦させるべきだし、
むしろその挑戦を応援してあげるべきです。

4回転は失われるべきではない。

というか、4回転に限らず
3回転でも6種以外の新しいジャンプを開発することだってできるはずです。
『質への重視』といって、選手たちをせせこましい枠の中へはめないで欲しい。
今4回転を飛べる男子は少なくなっていますが、
それは、ヤグプル時代の人たちが特別なので、
いまの状況が普通なのだといいますが、
必ずしもそうではないと思います。
むしろあの二人がいたからこそ、みな躍起になって4回転に挑み、
ジャンプの向上を促したわけです。

いまのジャンパーたちだって、たとえ失敗しても
繰り返し飛ぼうと挑んでくれば、
みながんばらなければと跳ぶようになるはず。

最後にストイコの言葉を引用して終わりますが、

「芸術的なスケートを見たければ、ショーに行けばいい」

というのは、本当にその通りだと思います。

フィギュアスケートは『アート』ではない。『スポーツ』なんです。

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