2010/02/24

ブライアン・オーサーの悪夢~彼がそれでも負けるわけ



まずはじめに。
ぐーるどさん、情報ありがとうございます。

私も某掲示板を見て知りました。

http://www.news24.jp/articles/2010/02/23/10154073.html

しかし、あまり賛同はしません。
もちろんプルの気持ちも分かるし、抗議自体は悪くはないと思いますけど、
だけれども、もしそれで金メダルとかいうことになれば、
2002年のソルトレークの再現になってしまうのでは?、と危惧します。
彼にはサレペルのようにはなってもらいたくないです。
いくら理不尽な結果でも、結果は結果です。
それを受け入れなければ、真の英雄とはいえないと思います。
彼には、いつまでも誇り高い人であって欲しいです。
私はいまの、あまりにも理不尽すぎる結果も含めて、彼が好きなんです。

だからといって、いまの採点システムが正常に機能しているとはいいがたいです。
彼のような影響力の強い人がそのような発言をすることで
少しでも改善につながるのであれば応援しますが。
事実彼はフィギュアのルールを変えたことがある人ですし。

ちなみにジャッジの二人がプルに異常に低い採点をつけていたのは、
記事が出る前から、こちらのサイトで知っていました。

本当にひどいですよね。でも、北米開催のOPではどうしようもないと思います。
NYtimesでも、『興行的な理由で、北米出身のチャンピオンが必要だった』
とはっきりと書いているほどですから。
もともとプルに勝たせる気などなかったのです。


☆゚+。☆。+゚☆゚+。☆。+゚☆

今日2つの番組を見ました。
ひとつは、報道ステーション、もうひとつはNHK特集。
後者の番組は今見ているというか、見ながら書いているんですが。

報道ステーションの特集はひじょうに興味深く見ました。
特にブライアン・オーサーのインタヴューがよかった。

いまのオーサーはまさにキム・ヨナを使って
22年前の雪辱を果たそうとしているんですね。
自らの敗因を、プログラムの変更にあるとして、
キム・ヨナにはプログラムの変更はさせないというのは
ある意味賢明かと思います。
この理不尽な採点システムの下では、
無謀な試みは逆に足元をすくわれかねないですから。

しかし、一方で、オーサーはなぜ22年前にボイタノに
勝てなかったのかもよく分かりました。
おそらく今回でも勝てないでしょう。
なぜなら、オーサーはある可能性をまったく考慮していないからです。
オーサーは22年前のOPで銀メダルに終わったのは、
トリプルアクセルをフリップに変えて、トリプルアクセルを1回にしたからだといいました。
しかし、仮にプログラムを変更しなかったとして、
オーサーはボイタノに勝つことができたでしょうか。
ここに彼の隙があると思います。

私は、オーサーがプログラムを変更しなくてもボイタノには勝てなかったと思います。
どうしてか? それはボイタノが天才だったからです。

天才がなぜすごいのか。
それはまったく『読めない』からです。
いつどんな風に化けるのかまったく予測不可能なんです。
オーサーはボイタノの天才性にまったく気づけなかった。
いや、気づいていたのかもしれないですが、
心のなかで認めたくはなかったのでしょう。

田村明子さんの『氷上の光と影』という本に、
ボイタノがいかにジャンプの天才だったかが述べらています。

-ボイタノは自分がジャンプを飛ぶために、
フェンスからどのくらいの距離が必要か正確にはかることができるのに驚いた。

ボイタノはまるで数学のように正確に頭の中で
シュミレーションすることができるという稀有な才能の持ち主だったのです。

おそらくボイタノはオーサーのトリプルアクセルを見て、
自分もプログラムに2回入れられるだろうと思ったのでしょう。

天才というのはえてしてそのようなものです。
プルシェンコも浅田真央もおそろしいほど
簡単に難しいことをやってのけてしまう。
それはなぜでしょうか。
天才にはつねに『万能感』があるからです。
もちろん『万能感』は誰にでもあります。特に子供の頃はみな誰しも持っているものです。
しかし、大人になるにつれ自分の限界が分かるようになり、万能感が薄れていく。
ですが、天才たちは大人になってもこの万能感を持ち続けている。
そして、ここが何よりも重要なのですが、
天才が真にその力を発揮するのは、
その万能感が実際に達成されてしまうところなんです。

プルシェンコも浅田真央も、常人には及びもつかないことを考えます。
プルシェンコは、OPの前しきりに3A-4Tを練習していました。
個人的には、この馬鹿みたいな試みがプルを
金メダルから遠ざけた原因のひとつだと思ってますが、
一方で、あともう一歩というところで成功しそうだったことも確かです。
彼は「できてしまう」んです。

また、浅田真央も同様です。
3Aでは飽き足らず、3A-2Tをやろうとする。
しかも、3A三回をプログラムに入れさえする。
今の採点制度ではそのような無謀な試みなど
却ってリスクにしかならないのに、彼女は果敢に挑戦する。
なぜなのか、やはり彼女が「天才」だからゆえです。

天才だからこそ、無謀な試みに挑戦してゆくし、
またそのような挑戦が許されるのです。
そして、その挑戦は誰にもできるものではない。
おそらくプルシェンコだけでしょう、そのようなコンビネーションを考え付くのは。

さらに、天才は時代を変える力を持っている。
4回転時ジャンプそのものを開発し、発展させたのは、
ストイコやブラウニングといった先人たちですが、
男子なら誰でも4回転を飛ばなくてはと思わせるようになったのは、
ほかならぬプルシェンコです。
プルシェンコが4回転を簡単に決めてしまうために、
他の選手たちがどうしたらプルシェンコに勝てるのかと
日々切磋琢磨したために、「4回転時代」が生まれたのです。

また、浅田真央も同様です。
彼女がトリプルアクセルを跳ぶようになった結果、
ロシアのジュニアの女の子たちが浅田真央を目指して
3Aを必死になって習得しようとしている。
これもすべてソチ五輪で、彼女を負かすためです。

しかし、キム・ヨナの3-3はどうでしょうか。
みなキム・ヨナを負かすために、3-3をやろうとしているでしょうか?
誰もしていませんよね? それどころか、リスクを恐れて難度を落とす始末。
どうしてなのでしょう? もちろんいまの採点システムが大きいと思いますが、
それだけではないと思います。
残念ながら、キム・ヨナに時代を動かす力はないのです。

ボイタノは天才ゆえに考えただけです。
オーサーができるなら自分もできる、と。
オーサーが自らの栄光に酔いしれているときに、
ボイタノは影で必死になって練習をしたのでしょう。
そして、OP本番でとうとうできてしまったのです。
まさに予測不可能なことが起きたんです。

オーサーもまさかボイタノがやってのけるとは思っていなかったでしょう。
天才に対する理解不足ゆえに起こった悲劇です。

そして、オーサーは、残念ながらその悲劇を繰り返そうとしている。
キム・ヨナのプログラムは変更しないといった。
プログラムどおりにやれば点数は付いてくると。
しかし、オーサーは浅田真央の3Aが失敗するという前提の上でしか語っていない。
彼女がプログラムを完璧に滑ったとき
どうなるのかまったく計算に入れていないのです。
もし浅田選手がSPをノーミスで滑り終えたときどうするのか、
そのフォローはまったくできていません。
たぶんキム・ヨナもそのようなことを考えていない。
これは逆にとても恐ろしいことではないか。

今日の公開練習でキム選手がしきりに浅田選手を気にする場面が見られました。
おそらく相当なプレッシャーがかかっているでしょう。
まさか彼女がここまでジャンプを戻してきているとは思わなかったでしょうから。

キム陣営の計算されつくした計画に生じた思わぬ「穴」。
これが勝敗を分けるかもしれない。

天才というのは、いつも予測不可能なものなのです。
予測不可能で、なおかつ、不思議で、そして、信じられないほどの力を発揮し、
また誰よりも魅力的だから、われわれはいつの時代も「天才」を求めるのだと思います。

ただ、私は今回の女子が正常なジャッジが下されるとは思っていません。
男子のことで思い知らされましたが、
もうすでに「金メダリスト」は決まっています。
どんなにネ申演技をしてもよほどのことがない限り、
結果が覆ることはないでしょう。

いまの採点システムは天野氏が言うとおり、
『努力をすれば凡人が天才に勝つシステム』なのです。

ですが、浅田選手や安藤・鈴木両選手にはがんばってもらいたいです。
たとえジャッジの判定が理不尽なものだったとしても、
誰の演技が本当にすばらしかったか、
人々の記憶はそう簡単に変えられるものではないから。


最後に。
私が全日本選手権の『鐘』を見た感想をここに上げて終わりにしたいと思います。




浅田選手は何かを『つかんだ』気がする。

なぜタラソワがこのプログラムを彼女に与えたのか。
まだ円熟の域にも達していない彼女に。
本来ならばクワンが滑るはずだったプログラムを。

いまならとてもよく分かる気がします。
このプログラムは魂の根源に触れることのできる者しか
滑ることができないからです。

しかし、その彼女でさえも最初の頃は苦悩した。
滑りこなせず、苦い挫折を味わった。
だけれども、その挫折はこのプログラムを完成させるためには
絶対に不可欠な過程だったと今では思います。

タラソワの『乗り越えろ』というのはまさにそういう意味だったと。

そして、ラフマニノフ自身もさまざまな挫折や苦しみを味わった人でした。
いまでは浅田選手とラフマニノフが重なって見えます。
芸術というものは、苦悩なくしては成り立たない。
二人の天才がまさに出会った最高のプログラムです。

バンクーバー、がんばってください。

2010/02/22

何もいうことはない。。。。



男子シングルですべて力尽きてしまった感じで・・・。
女子については、何もいうことはないって感じです。
もうすべてが決まっているのでしょうから。
メダルが誰が取るのか、そして、その色はなんなのかも。

だけれども、三人の日本人選手たちにはがんばって欲しいです。
悔いの残らないよう、自分を信じて、
自分の力を最大限に発揮して欲しい。

いまの私にはもうそれだけしかいえません。

ただ、たとえメダルの色が何色であっても、
三人の選手たちにはよくやったといってあげたいです。





山田満知子先生と浅田選手との深い絆を感じさせる動画




*+☆+*――*+☆+*――*+☆+**+
それにしても、いったいいつまでこんなことが続くのでしょうか。

ニューズウィーク日本版にこのような記事が載っていました。


有識者にまでこのようなことを書かれて、ISUは恥ずかしくないんでしょうか。


プルシェンコの銀メダルは、母国ロシアはもちろん、
さまざまな方面から批判が上がっているようですね。
特に、長野五輪銀メダリストのエルヴィス・ストイコは、
鼻息を荒くして、今回の結果を批判しています。


タイトルが過激ですよね。でも、その通りだと思います。

最後に。
面白いコラムを発見しました。
青島ひろのさんのですが。
正直、あまり、この人のコラムは好きではないのですが、
このコラムは興味深く拝読しました。

追記:昨日ニコ動で見て思ったこと

キム・ヨナってケツでけぇなぁ

すいません…

2010/02/21

《4回転論争》-プルシェンコに対する誤解


悪夢の男子シングルからもうすでに2日がたっているのに、
心のなかのもやもやがまったく晴れません。

プルの演技を見るのがつらくてつらくて
特にフリーは本当に演技をする前から涙が出てしまいます。
いちおう録画をしてあるんですが、一度も見ていません。
あまりにもつらすぎて。

しかし、それよりもつらいのは、
プルシェンコの発言に対する誤解です。
mixiなんかの日記を見てると、そのほとんどが「いいわけするな」とか
「負け犬の遠吠え」とか、そういうネガティブな意見ばかり。
なんだかプルが自分の結果を受け入れず、
「本当は俺のほうが強いのに、ジャッジが悪いから負けたんだ」と思われて・・・。

プルファンではなく、今回のプルの発言がよくないと感じている人は
ぜひ当ブログを読んでいただきたいです。
プルはきちんと「自分の結果を受け入れる」といっています。
だけれども、「いまの採点システムは受け入れられない」と異議を唱えているだけです。

プルシェンコは高い技術を持っています。
無難にプログラムをこなそうと思えば、こなすこともできました。
しかし、彼はそれをあえて拒否し、難度の高いプログラムにしただけです。
よく4回転を二回入れればよかったのに、という意見がありますが、
ライサの4回転のない、3-3の構成が
4回転2回を入れてようやく釣り合うものなのでしょうか?
それほどプルシェンコのスケート技術は低く、
逆に、ライサの技術は高いとでも?
プルはスピンやステップが劣っているから、
もっとジャンプを入れて点数を稼げばいいと。
そのためには、無難な構成で滑るライサよりも
もっと難しいプログラムで滑らなくてはならない?

逆に、ライサのミスのない演技が、プルの生彩を欠いた演技よりも
完成度が高かったから金なのだという人もいます。
『number』の記事はその典型かと思います。
しかし、もしプログラムの『完成度』が採点を大きく左右するのなら、
なぜジョニー・ウィアーの点数は伸びなかったのでしょう?
私はジョニーの演技のほうがずっとすばらしかったと思います。
もちろんライサもすばらしかったけれども、
ジョニーは自分の『世界観』をプログラムに反映させていた。

結局、プログラムの完成度が問題ではないのです。
仏紙にすっぱ抜かれていましたが、
男子シングルが始まる前に
「つなぎの少ないプルシェンコの点数を下げるように」というメールを
アメリカのジャッジが他のジャッジに送ったそうです。

これがすべてを反映していると思います。
そして、パトリック・チャンの異常に高い点数も。

もちろんチャンの点数が高いのは
スケーティングがずば抜けているからだという人もいます。
しかし、スケーティングがすばらしいのは小塚選手も同じです。
私には二人のあいだにはそれほど差があるとは思えない。
むしろ小塚選手のほうがずっと上手いと思っています。
佐藤有香さん仕込みの、
パンにバターを塗るようなすっとなめらかに滑るスケーティングは
チャンのエッジが深く、粘っこいスケーティングよりもはるかに好感が持てる。
好みの問題ですが、でも、結局のところ差はないのです。
では、なぜ点数の差が出るのか。
それはチャンのプログラムの「つなぎ」が異常に多いから。

かつての採点システムではジャンプの比重がやや高く、
そのほかの技術はあまり高く評価されていないので、
いまの採点システムではもっと
スケーティングやスピンをもっと評価していこうという方針でした。

ですが、個人的にスケーティングやスピンの点数が
ジャンプと同程度に評価されているようには思えません。
確かにスピンの技術は向上したかもしれませんが、
その一方で、みなレベルを稼ぐために
同じようなスピンを行うようになり個性が失われました。
また、スケーティングですが、
ディープエッジの使い方のうまい選手
を高く評価するという方針のようですが、
前述のように同じディープエッジの使い手である
小塚選手の点数はあまり高くはありません。
ただ、ジャンプやスピンのあいだにある「つなぎ」が多いと、
異常に高く点数が出る。
というか、ジャッジの評価はそこに重きを置いている。
いや、ほとんどつなぎだけにしか評価をおいているように見えない。

だが、かといってキムヨナの「つなぎ」は多いのかといえばそうでもない。
ジャッジ自ら「すかすか」といっているのに、
スケーティング技術はチャンよりも高いのです。

つなぎの多さはいったいどこで判断するのでしょうか。
プルシェンコはSPで3Aを飛んだ後、
ステップを入れてつなぎにしていましたが、
残念ながら、高くは評価されませんでした。
しかし、3Aのあとにあれだけのステップが踏めるのは、
高い技術がなければできないことです。
つなぎの質が高いとされるチャンでもおそらく入れられないでしょう。
それでも、チャンのほうが上だというのなら、
『質』の高さをいったいどのような基準でジャッジは判断しているのか。
どうしてもそこに主観が入り込むような気がしてないません。

しかも、ジャッジの講習会で
プルシェンコや浅田真央のプログラムを「悪い例」としてとりあげ、
キムヨナやPチャンのプログラムを「よい例」として
とりあげられていたと報道されていましたが、
そこに、どうしてジャッジの「刷り込み」がないと判断できるのか。
悪い例として取り上げられた選手は、
演技が始まる前から、はなからこの選手はよくないという目で見られてしまうのでは?
こんな主観だらけの判定で、いったい何を競うのでしょうか?
『質』を争うというのは、結局その人の主観でしかありません。

『質』をもっととジャッジは言いますが、
本当の意味で『質』を争いたいのであれば、
コンパルソリーを復活させればよいだけです。
アイスダンスはまだあるのですから、
本当にジャッジが『難度』重視の方向から、『質』重視に変えたいのなら、
コンパルを行わせればいいことです。

しかし、彼らはやらないでしょう。
なぜ? コンパルをやれば主観の入り込む余地はなく、
ジャッジは勝たせたい選手を勝たせることができなくなってしまう。

プルシェンコがいうとおりだと思います。
『点数を操作して、勝たせたい選手を作る』
そういうシステムなのです、いまの採点システムは。

そして、彼が怒っているのは、
そういう主観だらけの採点システムなのです。

しかし、ジャンプは別です。
どうしても採点競技はジャッジの主観が入るもの。
ですが、ジャンプは純粋な技術です。
そこに主観の入り込む余地はない。
純粋に難しいジャンプを飛べば評価するし、
飛べなければ、点数を下げる。

旧採点法もたくさんの主観や偏見に満ちていましたが、
それでも100年近く支持されてきたのは、
そういう主観があっても、結局はみなが納得できるところに落ち着いていたからです。
それは結局は『技術』で判断されていたからだと思います。

よく伊藤みどりさんが勝てなかったのは、スタイルが悪かったからとか
『芸術性』に乏しかったからとかいわれていますが、そうではありません。
あの時代、まだ規定という競技があり、それが伊藤さんはうまくはなかったからです。
逆に、カタリーナ・ビットが勝てたのは、規定に強かったからです。
いわゆるコンパルソリーですよね。

そして、プルシェンコに関していえば、
2004年の世界選手権のフリープログラムは
彼はジャンプの前に転倒してしまうというアクシデントがありました。
ですが、結局は優勝しました。
それはジャッジの単なる主観だけではありませんし、
彼が偉大な選手だからだけでもありません。
プルシェンコがプログラムの最初に4-3-2、4T、3A~half loop~3Fという
きわめて難度の高いジャンプを決めたからです。
これは誰もが納得のいく結果でした。



もちろんプルシェンコは『ジャンプ』だけの選手ではありません。
スピン、ステップ、表現力、そのいずれにおいても他を勝っていたのです。
たとえば、スピンは男子では初のビールマンスピンのできる選手でした。
ステップも、高速ステップと呼ばれるほどの速く細かいステップを刻むことができた。
そして、ロシアン仕込みのバレエ風味の、
指先まで神経の行き届いた格調の高い表現力がありました。
また、何よりもプルシェンコは音をとらえるのが天才的に上手かった。
私はいつも彼の演技を見るたび、
足元から音が湧き上がって聞こえてくるように見えるのです。
プルシェンコが音楽にあわせているのではなく、
音が彼に合わせているような、そういう音のとらえ方をしていました。



彼は総合力においてずば抜けた選手だからこそ、
いまの採点システムを批判しているんです。

むしろ、今回のオリンピックで
彼が銀メダルだったことは逆によかったように思います。
これでいまの採点システムのおかしさ、矛盾がわかったでしょうし、
採点システムの最高という議論が進んでいくのではないかと思います。

そういう意味では、プルシェンコの復活は
大変意義のあるものだったと思います。

また彼は復帰をする前から、
男子に『4回転』は必要だと主張しておりました。
今回のオリンピックで負けたから、
ジャンプの点数を高くしろといっているのではありません。

ずっと以前から『四回転』の重要性・必要性を唱えていました。
彼の主張には少しのブレもありません。
皆さんはそういうことを分かって上で、
『負け犬の遠吠え』といっているのでしょうか。

また彼の時代は4回転全盛期でした。
4回転をプログラムに一度入れただけでは勝てなかった。
前のところでも述べましたが、
本田武史氏が言っていたように
「4回転を三回入れても、プルシェンコやヤグディンには勝てるかどうか」
というほどのハイレベルな戦いだったのです。
そして、プルシェンコはそうした過酷な試合で、
常に勝ち続けてきたからこそ、
いまのクワドレスの状況を嘆き、苦言を呈しているのです。

彼によって4回転を飛ぶということは
アスリートとしての矜持そのものなのです。
負け惜しみでもなんでもない。

そういうプルシェンコの主義を理解した上で
反論して欲しいものです。


またgdgdと追記:
私が納得いかないのは
(そして、プル自身も納得していないのは)
プル自身の技術の衰え、
または、ライサのプルを上回る技術によって
彼が負けたからではなく、
ジャッジという魔物に負かされてまったことなんです。
もしプルだって、自分の技術や演技力がライサに及ばなかったのであれば、
こんな風に不満を漏らしたりはしなかった。
だけれども、自分のほうがはるかに技術が上なのに、
技術とは違う、非常に不透明な何かによって
負けたことが許せないと思っているんだと思います。
そして、私もいまだに心のもやもやが晴れないのは、
『絶対王者』であるプルが、
ヤグディンのような選手に負けたことではなく、
何か見えない力に負かされてしまったと感じているからです。
 

2010/02/20

まだグジグジと・・・



この写真を見てまた泣けてしまいました。


このプルの表情。。。
いまどんな思いをしているかと思うと
また涙が・・・。・゚・(ノД`)・゚・。

まるでねぎらうようにして
この偉大な選手に
あたたかい笑みを送る高橋選手には本当に感謝です。

彼はプルへの敬意を忘れていないんですね。
本当にうれしいです。
そして、そういう選手が日本人であったことが。


プルのことですが、
3年間競技に出ないでいきなり復活して
メダルを掻っさらっていくのはずるいという意見を
たびたび耳にしますが、

では、逆に聞きますが
プル以上の技術を持った人が果たして現役選手のなかにいるのか。
確かにオリンピックでは負けはしましたが、
技術点では、プルは依然として1位なのです。
この27歳の、スケーターにとってはとうに盛りのすぎた彼に
現役選手は一度として凌駕することはなかったことを
ジャッジはどのように考えるのか。

テクニカル・ジャッジの天野真氏は
新聞でこのようにいっているようです。

『優勝したライサチェックは新採点システムの申し子だ。
 能力を最大限に得点に結びつけるプログラムを演じた。
ずばぬけた才能はないが、人一倍の努力で補ってきた。
天才でなくとも頂点に立てると、子どもへ希望も与えるだろう』

これって天才になれずに3流で終わってしまった
元選手の言い訳を聞いているような・・・
確かに俺はあいつほどの才能はなかったかもしれないが、
でも、俺のほうがルッツのエッジは正しかったとかなんとか。。。

なぜわれわれはスポーツを見て感動するのか。
それは同じ人類でありながらも、
同じ種とは思えない、
自分をはるかに凌駕する才能が
その極限に立たされたときに、うちのめされることなく、
それを乗り越えてゆくからであって、
そういう限界に挑戦しつづけるからこそ感動もあるし、
または敗れた者に対しては良くやったと
敬意を表することができるのです。

別に凡才が努力してそれなりのことをしたとしても
感動なんてできません。
人間はいつの時代でも『天才』を求めてやまないのです。
わたしたちはその『天才』に憧憬を抱き、
または、自らを投影させ、
このようになれたらと思うのですから。

それに、天野氏は凡才が天才に勝ってしまうことによって
引き起こされる悲劇を知らない。
凡才がシステムの力で勝ってしまっても、
実力は天才には及ばないことを分かっている。
大衆はそのことを敏感に見抜く。
たとえ勝利しても、確かに試合には勝ったかもしれないけど、
才能はあの人が上だよねといわれ続けるのです。
その苦悩といったら・・・・。
私はキムヨナ選手に同じものを感じます。
システムの力で勝たせてもらっても、
実力は浅田選手のほうがはるかに上です。
彼女もおそらくそれを分かっている。
だからこそ、彼女は『どうしてマオと同じ時代に生まれてしまったのか』と
苦悩するのです。
その苦しみは天才が限界を超えるときの苦しみ以上のものがあると思います。
逆に選手に精神的重圧を与え、潰れてしまうことも。

プルシェンコが不在だった3年間
技術が退化することはあれ、進化することはなかったことを
良く考えて欲しいです。
プルが復帰したのも
そのようなスケート技術に対する進歩が
まったく見られなかったことに対する
彼なりの抗議からだと思います。

彼の復帰をぐだぐだ言う前に
お前たちの技術をどうにしろってことですよ。
そんなに悔しかったら4回転を飛べば?
プルよりも『質の高い』3回転を飛ぶことができるとか、
彼よりもディープエッジの使い方が上手いとか
ほざいてる選手なんて
わたしから見たら負け犬の遠吠えにしか聞こえません。


あと、下の追記にも書きましたが、
プルは『ジャンプだけの』選手ではありません。
トリノ以降浅田選手や高橋選手の活躍で
フィギュアを見るようになった人が増えたせいか、
プルシェンコのことをあまりにも知らなすぎる人が多いように思います。

そして、ジャッジも。。。
ジャッジの講習会で、
プルのプログラムが悪い例として上げられていたそうですが、
たとえ採点システムが変わったからといって、
彼の功績が必要以上に貶められていいものなのでしょうか。

このプログラムを見て
いったいどこの何が『悪い』と思っているのか。

↓↓↓


これは彼のネ申演技というべき、
2004年のロシアナショナルのものです。
プログラムのタイトルは『tribute to Nijinski』
本当にニジンスキーが踊っているかのような演技です。

いまの現役の選手にこれ以上の演技をした人が
果たしているでしょうか。
パトリック・チャンはこれ以上の演技をしたことがあるんですか?
この世の者ならざる、
何かに憑依されたかのような
神の領域に達するような演技を。

ジャンプ以外たいしたことはないと思っている人たちに
ぜひ見てもらいたい動画です。

2010/02/19

・°°・(((p(≧□≦)q)))・°°・。ウワーン!!


すいません。
本当にずいぶんご無沙汰していました。
更新しようしようと思っていたんですが、
なんとなく忙しく・・・
いろいろな方から早く更新してくださいと
催促のメールがあったにもかかわらず。
本当にスイマセン。

ゴメンナサ──・゚・(。>д<。)・゚・──イ

 
今年最初の更新がオリンピックだなんて。
いったい今頃更新なんてどうなってんだって感じですが。。。

いろいろと書きたいことはあるんですが、
個人的な所感だけ。




本当に涙が止まりません。
今日の男子フリーを見てからいままでずっと泣いてました 。゚(PД`q。)゚。
(いまも泣いてますが)

ライサのことを責めるつもりはありません。
彼はやるべきことをやっただけです。
いろいろと非難されていますが、
私は彼が四回転に何度も挑戦していたのも知っているし、
また、あの長身でジャンプを飛ぶことがどれだけ大変なことかも知っています。
この競技は、長身は却ってデメリットでしかありません。
その彼がジャンプを習得するのにどれだけ努力をしていたか。
SPのときに西岡さんが「ライサはやめろといわれても
練習をやめないぐらいの努力家」といっていましたが、
本当にそうなのだと思います。
人一倍負っているハンデを練習で克服しようとしていたのだと思います。

それに、ライサだとて年齢的に次があるわけでもない。
フィギュアスケーターの寿命は短いです。
ライサはもう24歳。
スケーターとしては決して若くはない。
その彼が『結果』を求めたとしても、いったいどうして責めることができますか。


でも、だからといって、正直、この結果には納得はいってません。

もちろんプルにもたくさんのミスがあった。
磐石かと思われたジャンプに、彼らしからぬ着氷のミスがいくつもあったし
そのほかの要素もどこか生彩を欠いておりました。
トリノの頃、いや、少なくとも今年のヨロ選と同じぐらいの
レベルの演技ができていれば、と思わずにはいられません。
彼にもミスがあったのです。

そういう点で考えれば、
やはりさすがの氷帝でも、目に見えぬプレッシャーがあったのだろうと思いました。
最終滑走者だったせいなのか、
いつものような帝王オーラがすっかり影を潜めて、
表情も硬い感じで、全体的にすごく調子が悪そうで
ソルトレークシティのときとは別の「硬さ」を感じました。
それが、北米主催のオリンピック特有の空気といわれればそうなのかもしれません。
あの、プルシェンコに対するカナダ人の冷めた反応は、
観客の声援を力にするプルにとっては、本当に耐え難いものだったと思います。
キスクラにいるミーシンコーチとプルの二人が、
小さな檻に閉じ込められて
カナダの観客たちの非難の目にさらされているように
見えたのは私だけでしょうか。


ライサはすばらしかったと思います。
彼だとておそらく金は取れるとは思ってはいなかったでしょう。
彼の健闘には素直におめでとうといいたいです。


が、もしこれが欧州やアジア主催のオリンピックであったらと
どうしても思わずにはいられないのです。

思えば、はじめからプルに不利な採点でした。
第二グループに滑ったことも不運でした。
最初のほうのグループに滑ったことで、
ジャッジに演技点の点数を抑える口実を与えてしまったからです。
もしプルが第五グループに滑っていたら、もっと点数が出ていたでしょう。
おそらく95点は出ていたでしょうから。
プルシェンコ自身、SPの結果を見て納得いかないものがあったでしょう。
SPを終わって点数が表示されたときのプルの表情は
かつてないほど憮然としておりました。
記者会見では彼はなんでもないといっておりましたが、
内心は穏やかではなかったでしょう。
自分を勝たせたくないんだという空気をひしひしと感じ取ったことでしょう。

もしかしたら、プルはその空気に負けてしまったのかもしれない。
ライサやPちゃんの演技を見て、
自分の演技点は抑えられるだろうと感じていたのかもしれない。
ソルトレークのスルツカヤのように疑心暗鬼になったのかもしれない。
それが、フリーの演技の『硬さ』につながったのではないかと。

政治的思惑や駆け引きは関係ないといいますが、
でも、やはりどこかかつての冷戦を引きずっていた部分はあったのではないでしょうか。
なんとなく、ロシアにだけは金メダルを取らせたくないという思惑が
ジャッジ、特に北米のジャッジにはあったと思う。
ましてや、プルが金を取ることになれば、
アメリカのディック・バトン以来の史上二人目のオリンピック2連覇となるのです。
その記録をロシア人に、しかも北米の地で塗り変えられることは
彼らには耐えがたかったはず。
そういう思惑もどことなく見え隠れしてすごくいやな気分です。
そして、そういう思惑に左右されてしまったプルが、かわいそうに思えてなりません。


それでも、私は彼が復活してくれたことにとても感謝しています。
ほんとうにありがとうっていいたい。そして、ごめんなさいって謝りたい。
プルがこんなふうに完全復帰するとは思っていなかったですから。
本当に最近まで、あのがめつい奥さんにだまされて
復帰させられるんだって思ってましたからwww

でも、その奥さんのおかげでリアルタイムで彼の演技を見られたことも確か。
トリノ以降ファンになったニワカな私にとって、
初めてリアルタイムで彼を追うことができました。
かなうことはないだろう夢を彼はかなえてくれました。

プルの動向に一喜一憂しては、
ロステレコムの劇的復活には歓喜し、
ロシアナショナルの前の怪我にはもうだめかと落胆し、
そして、バンクーバーでは手に汗にぎりしめながら、最後には号泣し・・・
本当に楽しい時間を過ごさせていただきました。

そして、彼がなぜ今になって復活したのか、分かったような気もしました。
プルにとっては金メダルなんて実はどうでもよかったんだなと。
今日のフリーを見たとき、いつものような絶対に
勝ってやるんだという気迫がありませんでした。
いつもの彼ならば、たとえ調子が悪くても他を圧倒するような気迫で
金メダルをもぎ取ったはずです。
しかし、今日、それをしなかったのは、もうすでに金を持ってしまっているからと、
もっと別な目的、4回転を廃れさせたくないという彼の強い思いだったと思います。
プルは勝とうと思えば勝てました。
3-2のコンビネーションにもうひとつ2Tをつけていれば彼の金は確実だったでしょう。
彼ほどの技術力のある選手だったら、それができないはずはありません。
しかし、プルがあえてそれをしなかったのは、
プルにとって3連続のコンビネーションは4-3-2しかないと考えているからです。
3-2-2のような乙女ジャンプなど飛びたくないと。
彼の矜持がそれをさせなかったのだと思います。

ペトレンコがいっていましたが、2度目のオリンピックとは『責任』なのだそうです。
そういうことを考えれば、プルは見事『責任』を果たしたと思います。
4回転へのあくなき思い、技術の進化、そして、フィギュアへの愛。
この人は本当にフィギュアを愛し、そして、フュギュアに愛されているのだなと思いました。
今日、二人の日本人が4回転に挑みました。
残念ながら、ジュベールをはじめ他の4回転ジャンパーはだめでしたが、
でも、小塚選手が、若い選手が4回転を跳ぼうと思ってくれていることはうれしいことです。

確かにいまの採点システムは許せません。
プルがいうように、「点数を操作して、勝たせたい選手を作る」システムなど
あってはならないことです。
ソルトレークのあの悲劇によって、
より「公平な」システムになるはずだったのに、
それがますます悪化し、
より「不公平で、理不尽な」システムになってしまっているのは皮肉です。

どうかこのオリンピックを機会に
ISUにはぜひ今の採点システムの再考をうながしてもらいたい。
『質』への重視とは聞こえがいいですが、私も反対はしませんが、
私が許せないと思うのは、『質』への重視と標榜しながら、
なぜコンパルソリーを復活させないのかということなのです。
コンパルソリーこそ、選手たちの質を高める最良の競技だからです。
にもかかわらず、ISUがそれをしないのは、
コンパルをやれば客が入らないのを知っているからです。
金にならないものをあえてする必要はない。
だけれども、スケートの質は保ちたいからコンパルは
自分たちでやってねといっているんです。
すごい矛盾だと思います。

フィギュアスケートに限らず、スポーツは常に技の進化との戦いです。
かつての大技を習得した者が、さらに進化した大技を習得したものに負ける。
これは必然なのです。
フィギュアスケートもそうあって欲しいと思います。

追記:最後にひとつだけ
いつからプルは『ジャンプだけ』の選手になったのでしょう?
誰も彼の全盛期を見たことがないのでしょうか?
ジャンプはいざ知らず、男子でただ一人ビールマンスピンをこなし、
ステップをやらせればまねできるものはいないと評されるほどの高速ステップ、
そして、バレエを思わせるような全身を駆使した表現力。
プルという人は本来オールラウンダーな選手だったはず。
それをいまの採点システムとはそぐわないからといって、
ジャンプだけの選手と貶めてしまうのは、
はっきりいって侮辱以外の何ものでもない。
ジャッジはこの歴史を塗り替えた選手に対して、
『敬意』というものはないのでしょうか。


2010/02/18

4回転は必要なのか~ フィギュアスケートの未来について考察する。



ちょっと前後しますが、
前回の『明暗を分けた~』の続きを
昨日のプル、高橋、ライサの三人の記者会見の個人的所感を踏まえつつ、
考察をしようと思います。

いまトラックワードでワード検索を見てきたんですが、
本当に当ブログ名で検索してくださっている方が
たくさんいらっしゃるんですね。
ありがとうございます 
♪感謝☆(人゚∀゚*)☆感謝♪

稚拙で、長文で、かつ的を得ないブログで、
しかも、更新がものすごーく不定期で、
筆者の超気まぐれで成り立っているものですから
更新を心待ちにしていらっしゃった方には
本当に申し訳ないと思っております。

勉強が忙しいんです。
言い訳なんですが、毎日勉強しないと
次回の司法試験が危ないものですから(´-∀-`;)

(2/18にエントリしてますが、2月19日に書いてます)

さて話を戻しまして、
SPが終わったあと上位3人が記者会見をしました。
その席で、プルシェンコが、

「バイアスロンやスピードスケートでも新記録が出ている。
(4回転を跳ばないとしたら)われわれの進歩は止まる」

と4回転を飛ばないライサに対する非難とも取れる発言をしました。

ライサはその発言をやんわりとかわしておりましたけれども、
私は、プルシェンコのその発言に
4回転ジャンパーとしての矜持を見ました。

去年のGPFで高橋選手はフリーで4回転に挑み失敗しました。
その結果、後半グダグダな展開となり結果は5位。
表彰台にも上がれない結果となりました。

それを受けてモロゾフは、高橋陣営を批判しました。

ですが、皮肉にもオリンピックのフリーでは
織田選手が靴紐が切れるというアクシデントでメダルを逃してしまいました。
「大技に挑まない」無難なプログラムを滑ったにもかかわらず。

確かに、怪我をする前の高橋選手とは違い、
今の彼はさまざまなところで、怪我の後遺症が出ていると思います。
ジャンプを飛ぶときのエッジが以前とは違ってしまったといわれていますし、
特に、フリーを最後まで滑りきることのできないスタミナのなさは
本当に問題だと思います(去年のGPFの時点)。

正直、高橋選手は4回転を飛ぶべきではないのかもしれない。
彼は4回転を飛ぶほどの力量は持ち合わせていません。
少なくとも怪我のあとの彼には。
プルシェンコは4回転を絶対に失敗しません。
たとえどんなに調子が悪くても、きちんとまとめる力がある。
残念ながら、この採点システムは
大技を持つ選手には非常に苛烈なDG判定が待っています。
ほんの少しの回転不足であっても、容赦なくDGをして、点数を下げる。
その結果、多くの選手たちはDGを怖がって
無難なジャンプを飛んで、『加点』を稼ごうとする。
高橋選手も4回転が戻らない以上、
4回転はあきらめて別の要素で点数を稼いだほうがいいのかもしれない。
現にステップやそのほかの演技点では世界最高点が出せるのですから。

しかし、かといって4回転を飛ばないことは
果たしていいことなのか。とも思うわけです。
なんといっても選手のモチベーションを下げることになりかねません。
ペアの川口・スルミノフペアが直前になって
4回転を回避するようコーチに言われて、
逆に、モチベーションが下がってしまい、
メダルを逃してしまうという最悪の結果となってしまいました。

たとえ成功率の低い4回転であっても、
飛ばないことによって
演技全体に影響を与えてしまうこともあるわけです。


個人的に、私は今日の織田選手のフリーの失敗は
そういうことと関係があるように思います。
一見、まったく関係のない問題だったとしても。
織田選手の中で、なにか心に引っかかるものがあったのではないでしょうか。
ましてや、日本人三人の中でただ一人、自分だけが4回転に挑戦しないのです。
そして、自分より年下の小塚選手が、よりによって五輪本番で4回転を成功させた。
小塚選手の演技を見ていた織田選手の心中は、穏やかではなかったはず。
それがあの『靴紐』に現れたのだろうと思います。
そして、モロゾフはそのことに気づいてあげられなかった。

たぶん、モロゾフは野心家なのでしょう。
荒川静香の件で味を占めたのかもしれない。
自分の作戦通りに行けばメダルを取れると思っていたのでしょう。
実際、タラソワの元にいたときはヤグディンなど
たくさんのメダリストたちのプログラム作成にかかわってきたのですから、
それが自分の本当の実力なんだと錯覚しても不思議ではない。

しかし、その『おごり』が今回の悲劇をもたらしたとも思うのです。
本当は4回転を飛びたがっている織田選手を
うまく『コントロール』できたと思っていたのでしょうが、
人の心はそんなに簡単にコントロールできるものではない。

逆に、高橋選手は4回転に挑むことで
最後までモチベーションを崩さなかったと思います。
たとえ成功する確率は低くても、
己の限界に挑もうとすることは
トップ・アスリートとしては当然のことだと思うし、
また、モチベーション向上にもつながるわけです。

まあ、ジュベールのように逆に飛べないことで
下がってしまうこともあるのですが。
でも、彼の場合、いつも飛べていたものが
飛べなくなってしまったというのがありますから、
ジュベールと高橋選手を比較してもしかたがないんですけど。

今回の五輪ですごく面白いと思ったのは、
日本人が積極的に4回転に挑んだことです。
もちろんマスコミのあおりもあるでしょうが、
本田武史さんの存在も大きいはず。

彼はプルシェンコが復活したとき、誰よりも興奮していました。
NHK杯だったでしょうか、本田氏が解説だったときに
プルの復活を感慨深げに話す彼の姿がいまも印象に残っています。

やはり本田氏やプルシェンコが現役で闘っていたときは
本当に4回転全盛時代で、
本田氏が「4回転を三回入れてもヤグディンとプルシェンコに勝てるか」といっているぐらい、
ヤグプルは本当に強く、
そして、4回転を入れなければ上位にさえいけなかった。
そして、みなヤグプルに追いつき、
追い越そうと4Sや4Lzなどを練習していたのです。
そういう時代を過ごしてきた本田氏にとって、
いまの4回転回避の状況は
どこかで歯がゆく思っていたところがあったのではないか。

そして、プルが復活してくれたことによって
自分の気持ちを代弁してくれたと思ったのではないでしょうか。
本田氏は高橋選手にあの時代のことを話していたんでしょうね。
それが、高橋選手の無謀とも言える挑戦につながっていったのだと。

回転不足の4回転など必要ないといいますが、
新しい技のはじめはみな不完全です。
回転不足が多いのも当然です。
しかし、そういう4回転を跳ぼうとする選手たちが切磋琢磨して
より精度の高い4回転を飛ぼうと技術の精度の開発に努力するのも事実です。

スポーツというのはそうやって
不完全なものから完全なものへと進化していくものではないでしょうか。
サッカーだって最初はただの玉蹴り程度に過ぎなかったはず。
それが、さまざまなシュートの方法、守備の仕方、フォーメーションの組み方など、
多くの先人たちがさまざまな研究をすることによって、
今のサッカーの形が作られている。

フィギュアスケートだって、3回転しか飛べなかったジャンプが4回転へと進化し、
その4回転をさらなる精度と完成度を上げようとみな努力した。
その最良の結果がプルシェンコであり、
そして、その時代を生き抜いた人が本田武史または、ヤグディンだと思うのです。
私は、ヤグプル2強時代を同等に戦うことができた日本人がいたことを
同じ母国人として誇りに思います。

モロゾフは旧ソ連時代の選手であるにもかかわらず、
母国の、技へのあくなき探究心を忘れて
大技回避は時代の趨勢だからといって簡単に切り捨てしまった。
まあ、もともとロシア人じゃないし、グルジア人だからなのかもしれないけど。

私は安藤選手には4回転を飛んでもらいたいです。
別にこのオリンピックで飛んでもらいたいとは思っていません。
でも、いつかは飛んでもらいたい。
彼女も4回転を飛ぶことを夢見ている。
モロゾフが本当に彼女のことを思っているのなら、
たとえ無謀であっても彼女に挑戦させるべきだし、
むしろその挑戦を応援してあげるべきです。

4回転は失われるべきではない。

というか、4回転に限らず
3回転でも6種以外の新しいジャンプを開発することだってできるはずです。
『質への重視』といって、選手たちをせせこましい枠の中へはめないで欲しい。
今4回転を飛べる男子は少なくなっていますが、
それは、ヤグプル時代の人たちが特別なので、
いまの状況が普通なのだといいますが、
必ずしもそうではないと思います。
むしろあの二人がいたからこそ、みな躍起になって4回転に挑み、
ジャンプの向上を促したわけです。

いまのジャンパーたちだって、たとえ失敗しても
繰り返し飛ぼうと挑んでくれば、
みながんばらなければと跳ぶようになるはず。

最後にストイコの言葉を引用して終わりますが、

「芸術的なスケートを見たければ、ショーに行けばいい」

というのは、本当にその通りだと思います。

フィギュアスケートは『アート』ではない。『スポーツ』なんです。

2009/12/07

明暗を分けた二人の日本人選手 GPF 2009 男子 FP 考察 その1



《-五輪に4回転は必要か?- モロゾフの戦略を考察する》

お次はFPです。

といっても、ここでは二人の日本人選手のプログラムについて考察していきましょう。
まずは織田選手から。



まずは織田選手、五輪内定
おめでとう!(*´∀`)o∠☆゚+。*゚PAN!!★゚+。*゚ございます。
これで織田君も一安心ですよね。
4年前のトリノの雪辱を果たしたのではないでしょうか。

FPのほうは、残念ながら後半の2つのアクセルでミスが出てしまいましたが、
それ以外のジャンプはきちんと決めて、見事総合2位。
グランプリファイナルの表彰台を見事確保しました。

今季の織田選手は本当にすごいというか、
ジャッジの評価もうなぎのぼりで、TESもPCSも高いですよね。
それに、もともと織田選手はジャンプの質がとても高い。
織田のジャンプは「落ちてくる」のではなく「おりてくる」と評されるように、
まるで羽のように舞い上がって、ふわっと降りてくる。
おそらくひざが柔らかいのでしょうね。
着氷するときの衝撃がとても小さいのでしょう。
回転不足もないし、見ていて本当に美しいです。

その「質の高さ」はきちんとプロトコルにも反映されており、
3A-3Tのコンビネーションジャンプには2点の加点がついていました。

確かにインフレ気味の大会ではありましたが
(もしかしたら地元上げもあるのかもしれませんが)、
それでも、これだけ高く評価されているのはすごいと思います。
バンクーバー五輪に向けての調整は万端のようです。

そして、織田選手のプログラムを見て思うのは、
ジャッジは、ジャンプの難易度を重視するのではなく「質」を重視しているということ。

この傾向はオリンピックでも変わらないと思います。

今回のGPFも4回転を飛ばない選手が表彰台を占めました。
4回転を飛ばない男子なんて・・・と批判もありますが、
逆に、それだけ4回転はリスクも大きいということです。

よほど確実に飛べなければ、容赦ないダウングレードにさらされ、
それのみか、PCSや加点という部分でも大きく下げられてしまう。

今シーズン、織田選手・安藤選手が大活躍していますが、
なぜこの二人の選手が強くなったのかというと、
やはりコーチのモロゾフによるところが大きいと思います。

特に、二人に大技を捨てるよう説得したことはでかい。
二人とも4回転にこだわるあまり、ほかの要素やジャンプがおろそかになり、
そのために点数を落としていることがほとんどでした。

しかし、モロゾフはいまの採点システムの特徴をしっかりと理解し、
もはや大技狙いでは五輪優勝は無理だということを悟ったのでしょう。
「4回転にこだわるなら美姫には教えない」と強い言葉で
大技をあきらめさせ、
逆により確実な、ダウングレードの少ないジャンプを飛ばせた。

その結果、二人のミスは激減し、代わりにPCSやTESが上がった。
安藤選手はキム選手との対比があるので比較的下げられてますが、
それでも、昨シーズンに比べたらかなり上がっていると思います。

モロゾフが戦略家だと思うのは、
しっかりと新採点システムというものを理解し、分析していることです。

確かにいまの採点システムはおかしなことばかりです。
スポーツというものは人間の限界に挑むもの。
本来ならば、フィギュアスケートもそうあるべきなのですが、
採点システムが変わったせいで、
以前の競技とは似ても似つかなくなりました。

いまのフィギュアスケートは
①大技に挑んではいけない。
②無難な技を確実に決める=質を高める。
③つなぎを多く入れなければいけない。

と、まさに時代に逆行するようなものとなっております。

それが正しいかどうかは別としても、
オリンピックで勝つためには、ルールにのっとらなければならない。
ルールを無視すればどんなにすばらしい演技をしても優勝はできなくなります。

浅田真央選手のスランプも実はここにあるかと思います。
大技の固執するあまり、本来ならば確実にこなさなければならない
スピン・スパイラル等の要素を落としてしまうのです。
その結果、キム選手のような無難な技しかできない選手が一人勝ちのように勝ってしまう。
キム選手が浅田選手よりも強いわけではありません。
キム選手のほうがよりルールを「理解し」、
そのルールで確実に勝つためのプログラムを滑っているだけです。

そして、モロゾフはおそらくカナダの選手たちのプログラムを研究しながら、
安藤・織田両選手のプログラムを作っている。

二人の今シーズンのプログラムの特徴的なところは
やたらと止まっているところが多いところ。
よく批判されますが、キム選手のプログラムもそうですよね。
止まっているところが多い。
しかし、それは別に点数を下げることにはならない。
むしろ演技点を上げさえする。
モロゾフはこの点に注目して、よりポージングが多いプログラムを作っている。
実はこのポージングをより多く入れるというのは
選手にとっても利点があり、プログラムの途中で休むことができます。
そのため、次のジャンプや要素を行うときの失敗が少なくなる。
安藤・織田両選手が今シーズンあまり失敗が見られないのも
このポージングが多いのもひとつの要因かと思います。

そして、何よりも彼らが今季強いのは、
飛べるジャンプしか飛んでいないこと。
安藤選手は今季3-3のコンビネーションを一度も飛んでません。
飛べばダウングレードをされることが分かっているからです。
2A-3Tのコンビネーションさえも、実際の試合では2A-2Tに下げて飛んでいます。

織田選手も同様です。
今季は4回転を一度も入れていません。
そのため、以前のようなジャンプミスが少なくなりました。
やはり最初に4回転を失敗してしまうと、プレッシャーがかかるのか、
ほかのジャンプを失敗しがちになる。
選手にはそういう傾向が多いです。
しかし、モロゾフはあえて4回転を回避させることで、
ほかのジャンプを確実に飛べるようにさせた。
もともとジャンプの質の高いことで知られている織田選手のこと、
飛べるジャンプを飛べば確実に点数は取れるのです。
事実、プロトコルを見ても織田選手のジャンプの質が
いかにジャッジに高く評価されているのかが分かります。
2点もの加点があれだけたくさん付いているのは、
今季は織田選手ぐらいじゃないでしょうか。

それに、モロゾフは元アイスダンス選手のコーチですから、
「つなぎ」を入れるのはお手の物です。
なので、点数につながりやすいつなぎをきちんと入れて
確実に点数を上げている。

モロゾフの戦略が見事に成功したシーズンだと思います。

《つづく》