2008/06/05

『the slip』感想~一通り聞いたあとで~


さっそくNINのフリーダウンロードのアルバム感想、UPします。

総評としては、『year zero』と『ghostsⅠ~Ⅳ』の隙間を
埋める的な作品になっているような気がします。
両者の中間みたいな感じ。
だけど、作品の出来としては、
『フリー』に相応しい出来だといえるんじゃないのかな。
つまり、お金を取って聞くべき作品には仕上がっていないということ。
厳しいかもしれないけれども、点数的には70点ぐらい。
『ghostsⅠ~Ⅳ』が85点の高得点で、
『year zero』65点(スイマセン、あんまり好きじゃないんです)なら、だいたいそんな感じ。
可もなく不可もなくって感じだなー。インパクトに欠けるよ。

レコ会社の圧力がなくなってトレント自身は満足なんだろうけれども、
個人的には、そういう制約がなくなってしまったということが逆に、
作品自体に緊張感を失わせてしまっているような気がするんだよねー。

確かにレコ会社は売れる曲を作れとうるさいし、特にCDが売れない昨今は
大御所のアーティストでも解雇したりしている例もたくさんあって、
『芸術』という側面から見たら、商業主義に走りがちなレコ会社は
批判されてしかるべきだけれども。

でも、別な側面から考えれば、そういう緊張関係があるからこそ、
いい曲も生まれてくるわけで・・・。
『こんちくしょう!!!』っていう思いがさあ、曲になるわけでしょう?
何でもかんでも『悪』とみなすのはよくないんじゃない?
90年代のトレントが神がかり的に素晴らしかったのも、
そういうレコ会社との軋轢があってこそだと思うけれども。

最近のNINはどうも緊張感に欠けるなー。
ひりひりするようなものがあまり感じられないんだもの。
切迫感ってのかな・・・。
90年代の曲にはみんなこういう緊張感があったって気がするの。
ダークで内省的な曲のなかにさえも、
言葉にならない攻撃性があった気がするんだけれども、
トレントの思いとか怒りとかがね、あったって気がするの。
本当に言葉にならない感情が。
でも、最近のアルバムにはあんまりないのよ。
もしかしたら、トレントが大人になったのかもしれないのだけれども。

でも、少し、自分のなかにも変化があって。
NINを聞いていて思うことなんだけれども、
自分の側も反省しなければならないことがあるかなーと。
わたくし、いままで自分の思いを
トレントに押し付けすぎていたのではないのかと思うのですよ。
トレントにはこうあってほしいとか、
こういう曲を作らないとNINじゃないとか。
そういうあまりにも個人的で、
独りよがりな思いをぶつけすぎているんじゃないかと。
トレントだって神じゃないんだし、人間なんだし、歳をとるんだから、
彼自身、長いNIN生活の中で変わってきたことだって
たくさんあるんだと思うんだよね。
そういう感情の変化が音楽に現れてきているというか。
そして、わたしはそういう彼の変化に気づかなかったというか、
むしろ気づきたくないばかりに、
昔のほうがよかったと無理に昔のNINにこだわったりして。
そういうのは、間違ってるんじゃないかと。

『year zero』を聞きながら、
NINの聞き方というものをもっと変えていかないと、
自分の意識というものを変えていかないとだめなのかな~
と思ったりしてます。
そういうことを考えたら、少しNINの変化も分かってきたというか。
完全にではないけれども、
『year zero』を受け入れられるようになってきたんだよね。
『with teeth』はまだなんだけど。

だから、『the slip』もそういうトレントの変化に着目して聞かないと
本当の意味での感想は書けないんじゃないかと、
あらためて、いま聞きなおしているところです。
なので、上の70点は最初に聞いた感想。
また点数が変化することはあるかと思います。

でも、難しいよね。
アーティストの変化に自分を合わせるのって。
アーティストも苦労すると思うわ。ごめんなさい、トレント。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私もありましたよ。'96年のWild Mood Swing以降急激にキュアーに対する感情が薄れていきました。いえ、音楽全般から遠ざかっていたでしょうか。

この頃は息子が2歳になり、音楽といえば子供向けのものが中心。家にはパソコンもケーブルテレビも無かったので洋楽情報を収集すべも無く、また子育てに追われてゆっくりと自分の音楽の世界に浸れる余裕もありませんでした。そして、幼い子供中心で動く日常ではキュアーのような深遠な音楽を聞く気持ちすら起きませんでした。

The Cureに対する思いが復活したきっかけは、やはり思い切って行ったフジロックと香港公演です。あれ以来、閉ざされた音楽への興味が再び開かれ、キュアーはもとより新しいミュージシャンの音楽も色々と聴き、ライブにも積極的に足を運ぶようになりました。
それに、ドラマーを目指している息子と音楽の話で盛り上がることが出来るようになったのも私の音楽環境に影響を与えていると思います。

とまあ、取り留めの無い話をしてしまいましたが、今現在気に入らなかったりなんとも思わなかった曲がある日を境にすごく良い音に聞こえるようになるということもあるわけで、好きなアーティストだからといって無理して全て100点満点で受け止めなくても良いと思いますよ。期待値が高いから聴く方も力が入っちゃうのは分かるんですけどもね・・・

hender(mako) さんのコメント...

ご子息、素敵ですね。ミュージシャン志望!
いいな~、わたしも子供が生まれたらトレントみたいなミュージシャンにしよう(笑)。
ご子息と趣味を分かち合えるというのは素敵ですね。そして、趣味を通して親子のコミュニケーションが取れる、音楽の素晴らしさも。

昔気に入らなかった曲がいまになってすごくよく聞こえたりすること、よくあります。
昨日も書きましたが、アギレラの曲が最近のお気に入りです。高校生のときは見向きもしなかったのに・・・。

そうですよね、もっと時間が経ってから分かるってことありますものね。

でも、好きなアーティストはなるべく理解したいという思いがあって、自分の好みに合わないからいや者というのは、あまりにもエゴをぶつけすぎるんではないかとも思うんですよ。
作ってる本人は、真剣なわけですし。
そういうふうに思うのも、やっぱり期待値が高いからかな~~~。
難しいところです。